読む/書く

ちょっとずつ読んで、書いてみる

童子問 第二章

童子問 第二章

童子

「本当に先生がおっしゃる通りです。論語孟子の二書は私も日ごろから熟読しております。朱熹の集註大全や諸家の注釈もかつて深く読み込みました。二書は本当に日々読んでおり、重要ですし、実に親切だと思います。でも、密かに、このほかにももっと簡単で直接的で道に至るものがあるのではないかと思います。違いますか?」

仁斎先生

「違います。学問はその正しいことを欲し、功は熟して成りたいと欲する。奇異なこと特別なことを求めるな。早道を求めるな。水があれば船は浮かぶ。華が落ちれば実がなる。自然の摂理だ。同様に、正しい道に従って、未だ至らない者はたくさんある。しかし、邪道をたどって正しく至った者はない。苗が育って実る。ここには時が必要だ。自然に悟るに任せておけ。悟りを求めようとジタバタすることはいけない。論語孟子を読む人は、諸学の時、脚注を全く見ずによく本文を読むことはできない。いやしくも論語集註、孟子集註や大学章句、中庸章句などの朱熹の書いたものに通じた後は、脚注をことごとく捨て去り、本文を熟読詳味、優游佩服するべきだ。こうした読み方をすれば、孔子孟子の本旨が、あたかも深い眠りからいきなり目覚めるかのように、自然と心の目にばっちり見えてくる。今あなたが疑いたくなるのは、脚注に惑わされているのだ。天下の理は論語孟子の二書に書いてあるし、足さなくてはならないところはない。疑うことはない。」

 

小言

論語孟子は当時は子供でも読んでいたということに驚きはするが、

考えてみれば当たり前に日本人にとっては一般教養だったのだ。

最初は脚注などを頼りにして、進むにつれて原文に戻るという考え方が、良い。

 

今日の言葉

華謝する (はなしゃする) 花が落ちる

優游(ゆうゆう) ゆったりとこころのままにたのしむこと

佩服(はいふく) 心から感心する、感服する、敬服する