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「論語の話」吉川幸次郎 第2回

第2回 「論語」が読まれてきた理由

前回は広く読まれていた事実を述べ今回はどう読まれてきたかについて。

古事記論語千字文がもたらされた記載があるが、奈良、平安朝においてはそれほど重視されていなかった。

奈良時代ごろに中国で古典研究の学風に変化があった。それまでは孔子が尊重した五経(易、書、詩、礼、春秋)を尊重する形式の副本として論語がある状態であった。

紫式部源氏物語には、漢学の影響がみられるものの、論語の影響がみられないように、後日ほどの浸透はしていなかったと思われる。

足利時代になると、朱熹(1127-1200)の宋学を中心に論語自体を尊重する形に変化してくる。→四書の尊重。

・ここ1000年ほど中国人で文字が読めて論語を読んだことがない人はいないだろうし、当時の中国の政治家たちも引用している。

・江戸時代になると朱子学が国教的な地位に据えられ、論語が広く読まれるようになった。漢字文明圏である韓国、ベトナムも同様であろう。

・読みやすさとか秩序を重んじることが為政者に都合がよかった側面はあるが長く、広く読まれている本意は別にある。

・人と人との間にある愛情、その愛情を増大してお互いが生きていくこと、それこそ人間の義務であるとする「仁」が人間の使命であるという主張と理想を、日常的な事柄を題材として書かれていることにあるし、故にこれからも読み継がれていくべき性質を持っている。

 

小言

多くの情報とともに、探求した結果を端的な言葉で開示してくださっている。こういうことは誰が研究しているなどの情報もしっかり入っており、後進がさらに学んで行くことができるようにしてくださっているのが実にありがたい。