「程子は中庸を孔子一門の心法であるとされましたが?」 「確かに中庸という語は論語で初めてできている。これは余計なことや足りないことがなく、いつも行なうべき道のことです。ただ、中というのとは意味が異なります。中庸というのは論語の解説書です。こ…
「じゃあなんですか?仁義は中より重要であるってことですか?」 「そうです。学問は仁義より尊いものはなく、仁義のために礼より重要なものはありません。だから論語では礼のことは言いますが、中のことは言わないのです。 顔淵が孔子に仁とはなにかを聞き…
「中とは、堯舜以来伝わるもので、これで良いとされていると聞いたことがあります。今、仁義を主張するのはなぜですか?」 「仁義は即ち中です。無差別な愛を己のために行なうことは間違いです。仁義ではない。こせこせしたやり方では到達しないのです。そし…
「先生は論語は宇宙第一の書であり、仁は孔子の教えの第一字である。とおっしゃいます。しかし、『大学』では敬が大事だといい、『中庸』では誠が大事だといい、『詩経』では思無邪だといい、『書経』では中、『易経』では時だといいます。四書五経みんなそ…
「道とは仁義のみであります。曾子はどうして『夫子の道は、忠と恕のみである』と言ったのでしょうか?」 「仁義は本当に道の全体であります。このことは説明するまでもありません。孔子の説いた夫子の道というのは、夫子が一人ですることを言います。夫子の…
「孟子は恕ることつまりゆるすことにつとめることは、仁を求めることの最も近い道であるといいますがどういうことですか」 「まず、求めるというのは、無いものを求めるということです。至るというのとは違います。仁というのは頑張ってやることではないです…
「南宋の哲学者、張栻は論語の中で仁について述べている章を集めて一冊にして世に問いました。これは正しいですか?」 「ダメだねぇ。論語ってぇのは全部頭の先からしっぽまで仁でないところはないんです。易経にも書いてありますね。『仁である人はこれをみ…
「韓愈がその著書「原道」でこのように言っています「博く愛するこれを仁という」宋の儒者はこれを違うといいました。これはどういうことでしょうか?」 「宋儒は仁を性質であり、愛は感情の問題だとしています。このため韓愈のことを謗ってこういいました。…
「仁を性だとすると虚ろになる。とおっしゃる意図は何ですか?」 「仁とは天下の美徳です。誰が性質だとして分けることができるというのか。もし宋儒の説明に従って仁を論ずれば、性質というのはまだ出てきていない者であり、情というのはすでに出てきたもの…
「仁が徳を成すに至らない場合にも、なお、これを仁というべきでしょうか?」 「ほんのわずかなことと雖も、その愛やまことの心が出て、人に利益をもたらすときはこれを仁というのです。ただこれだけが仁の功であるというのではありません。」
「孔子の仁とは何ですか」 「47章にでてきたように、孔子は管仲の仁についてこう言っています。 『人々が今まで、その仁の恩恵を受けています。管仲がなければ、我々は髪はぼさぼさ、服装もめちゃくちゃでしょう』 孔子の仁のようなものになれば、もう天地の…
「聖人の仁と、管仲の仁と同じですか?違いますか?」 「同じです。堯舜の仁は海の水が、深く広く、端がみえないようなものです。 管仲の仁は数メートルの井戸とか泉のようなもので、観るに足るようなものではないですが、それでも、干上がっているようなと…
「朱熹が子文、文子が仁でないというのは私心があったからいけない。そういうことでしょうか?」 「いや、違うね。仮に二人のやったことに私心がなかったとしても、彼らの行動は忠であり、清である。仁ではないんだ。 管仲のように全く私心がないとしても、…
「40章に出てきた令尹子文、陳文子はどうして仁をゆるされなかったのでしょうか?」 「二人にもし、管仲の志と才があったならば、またまさに仁を言うでしょう。子文は大臣になってもやめても特に何も感情を示さなかったのは身のためであるし、丁寧に引継ぎ…
「管仲はなんで王を助ける才がないとされたのでしょうか?」 「志があって才があって学があって、そのうえで王道というのはすることなのです。 志がないならば、孟子が伊尹について、天下のことを自分のことのように責任を感じる といったようでなくてはなり…
「孔子はなんで子路、冉有、公西華に仁であるとしなかったのでしょうか?」 「愛の心が一時も離れることなく、少しも残忍刻薄な心がないことが仁である。子路、冉有、公西華の三人は孔子の高弟ではありますが、心のありようをずっと変えないということを保つ…
「管仲は覇者の臣下でした。だから孟子は管仲がその王道を知らないということを謗りました。しかし、孔子は管仲は仁であると言いました。これはどうしてですか?」 「仁による徳、利澤恩恵は、遠く天下後世にいたってどんどん大きくなっていきます。書経で堯…
「孔子や孟子が仁について論じる際に 愛と干渉させないというようなものでしょうか。どうでしょうか。」 「愛があるところに、善は必ず生じます。だから7章でも言った通り、「惻隠の心は仁のはじめ」なのです。21章で海に喩えて言ったように、源泉から出…
「先生、仁というのはつまり愛ということですか?」 「仁は愛です。愛は実徳です。愛でないときには徳は見えません。わずかなりとも残忍刻薄な心があるときは、仁ではありません。だから額が仁にいたれば、則ち実徳となり、あらゆる善行は皆起こります。仁の…
「先生、徳のうち最も大事なのは、人を愛することだ。だから孔子一門は仁を学問の最も重要な点だとするとおっしゃいますが、これについて詳しく教えてください」 「仁は徳なのです。このことを君は、言葉で口で言い尽くせるでしょうか?天下の王であれば天下…
「せんせい、仁とは何かをさらに教えてください」 「いいでしょう。仁とは慈愛の心が内から外に及んで、至らないところがなく、その慈愛が届かないところがなく、残忍刻薄な心がないことです。 こっちにはあって、あっちにはないというのでは仁ではありませ…
「孔子や孟子がいうところの仁とは、結局どういうことなのですか?」 「仁とは人道の大本です。多くの人々が善い行いをする要です。人道に仁義があるというのは、陰と陽があるような当然のことです。だから孟子は『仁は人の家のようなものです、義は人の正し…
また、少し空いてしまった。 「誰が言ったということではないですが、学問は知を以て先とすると聞きます。今、理を極める説は仁を求めるにおいて非常に妨げになるといいます。理を捻じ曲げていることはないでしょうか?」 「書を読み、理を極めていくことは…
「仁を識り難いのはなんででしょうか」 「仁を得ることは本当に難しいです。仁の理を識るということにおいては難しいことなどありません。 道を学ぶ者がその方を失っているので、勝手に難しくしているのです。 昔の人の学は、徳行を根本としていました。ちょ…
「仁を第一とするのは何でですか?」 「仁の徳は大きいのです。ただ、一言で表すなら、愛です。 君臣の関係性なら、義と言いますし、親子なら親、夫婦なら別、兄弟なら叙、友人ならば信。これらはみな愛から出てくるものです。愛は実心です。君子慈愛の徳よ…
「先生、忠信は本当に美徳だと思います。でも、信を好んで学を好まなければ、賊になってしまうと陽貨篇にあります。必ずしも悪くないとは言えないのではありませんか?」 「その通りです。学而篇で、「信が義に近いときはその通りにできる」と言います孟子が…
「忠信を主とする時には敬は必要ないんですか?」 「そんなことはない。「言忠信、行い篤敬」と言うではないですか。 また、「居処恭しく、事を執るに敬し、人と忠あり」とも言います。 敬もまた聖学において、修養すべきものです。つぶさに、きちんと積み上…
「宋の儒者は敬を第一としています。今、先生が忠信を以て第一とするのはなぜですか?」 「学問は誠実にあるのです。だから『忠信を第一とする』と言います。主の字と賓の字が向かい合っています。その心は論語を学ぶ人は、専ら忠信を以て第一としなくてはな…
「先生すでに仁を第一として、忠信を以て仁を行なう基礎としているのはなぜですか?」 「有若は、『孝弟というは仁のもとですか?』と孔子に聞いたことがある。孔子は『忠信が主ですね』と答えた。孝悌とは順徳であり、忠信とは実の心である。もし忠信でなけ…
「いつも論語、孟子を熟読していますが、まだよくわかりません。細かく教えてください」 「いいでしょう。この学問の最初の一次は仁である。義を以てこれを仁の連れ合いとする。礼を以て補助とする。忠と信を以て基礎とする。仁と義とは陰と陽との関係のよう…