読む/書く

ちょっとずつ読んで、書いてみる

童子問 第20章

「先生、文を学ばなければ必ず見識が偏ってくる。とおっしゃいますが、仏教でも禅では不立文字といっていますし、近世の王氏の学問である陽明学でも、書を読んで義理を講じるのはダメだと言っています。こういうものはダメだということですか?」

「道の指標になる、規矩は四角や円の極まった姿です。同様に至当は道の極まった姿です。みんなが知られ難いことを知って、普通になしがたい厳しい修行をしても、至当を失ってしまえば、全部がダメです。妙智は得やすいし、卓越した行動はやりやすい。ただ、至当を得ることが難しいのです。そこで悟ることは、より強く偏りを生じるでしょう。だから、君子は書を読み、理を探求し、多く昔の人の言行を研究します。これは単に収集しているのではありません。天下の至当を得ようとしているのです。いやしくも学問をする時は、高い者は伏し、低い者はつま先立ち、高いところにいる者は低く、低いところにいる者は高いところに登って平準化されたところを見る必要があります。

空虚なものに驚き、意好にまかせて、一人でその知識を集めているマニアみたいな奴はどこにも行けません。だから孔子は『仁を好んで学を好まない奴はバカだし、知識を好んで学を好まなけらば、しぬし、勇気ばかり好んで学を好まなければ、世間が乱れるし、剛を好んで学を好まなければ、キチガイだ』と言うのです。

もちろん仁の徳は大きいです、知識を集めることは深いです。でも学でこれらを照らさなければ、問題があります。だから天下に学問より貴く功績が大きいものはないのです。」