読む/書く

ちょっとずつ読んで、書いてみる

「新訂 字訓 [普及版] 白川静 平凡社」 P34

あに 豈

反語的な語法に用いる副詞。訓読語として多く用いられる。

 

價無き寶と言ふとも一坏の濁れる酒に豈まさめやも[万345]

ってやんでい値段つかないくらいの宝より、俺ぁ、この濁り酒の方がいいね。

という感じだろうか、

何かよほどやってられないことがあって、飲んでいるのだろう。

 

濁れる酒とはなんだろうか。口かみ酒のようなものなのだろうか、それともたまたま米が腐ってできたようなものだろうか、いずれにせよ、ちょっと飲むには勇気がいりそうだ。

 

「新訂 字訓 [普及版] 白川静 平凡社」 P33

内面の衝動に駆られるということが、最近少なくなってきたように思う。

活きているのか実感が感じられないと言いかえることもできるかもしれない。

すこし衝動的な身としては人並みになってきたとも言えるので、あながち悪いことばかりではないが、老化現象だろうか。

 

あながちに「強」

うちからの衝動に堪えられないで、他を顧みる余裕もなく行動すること。「あな」は「大己貴(おおあなむち)」の「あな」で「おのれ」、「あながち」は自分勝手にふるまうことが原義であった。それで勝手な、無理な、一途なことをいう。古くは「あながちに」という副詞に、平安期には「あながちなる」という形容動詞の形で用いることが多い。

「新訂 字訓 [普及版] 白川静 平凡社」 P32

あな「痛 大」

「ああ」という感動詞と同じであるが、下に形容詞の語幹が続いて「あなおもしろ」のようにいう。古い感動詞なのであろう。訓示にも漢字の感動詞を用いずに痛や大のような副詞系の字を用いる。

 

阿波禮 阿那於茂志呂、阿那多能志、阿那佐夜憩 飫憩(あわれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ)[古語拾遺

 

十数年前にある方が、技とともに教えてくださった一節だが、古事記とその武術でやっていたことのつながりが今頃になって少しずつ理解できる部分が出てきている。

まさに、「ああ」と思う。

「新訂 字訓 [普及版] 白川静 平凡社」 P31

ほととぎす春を鳴けともあとふとも人の心をいかが頼まむ[古今六帖、4]

 

わからないうえにGoogle検索しても出てこない。

そもそも古今六帖から調べてみると、

 

お茶の水女子大学E-Bookサービス(https://www.lib.ocha.ac.jp/e-book/list_0002a.html

「古今和歌六帖全注釈」   古今和歌六帖輪読会(代表:平野由紀子) 著

 

があった。

これによると、ほととぎすはるをなけともあとふとも であって2214であるようだ。

作者、きのつらゆき とある。

 

ここから類推すると字訓の方は、

夏の鳥であるホトトギスに春を惜しんで鳴けと頼むことができても、人の心をどうして頼みにできようか。

というところのようだ。春を鳴くという表現がおもしろい。

解釈や正しい語義はわからないが、寂しげな雰囲気。

「新訂 字訓 [普及版] 白川静 平凡社」 P30

「魔女」という韓国アクション映画を見た。

それはそれで興味深いのだが、気になった語があった。何度もでてくるのだが、「〇▽□かっちぇる☆§〈」とかいう語だ。韓国語は全くわからないが、

北部九州弁で、「仲間に入れる」などの語が「かっつえる」(福岡)「かっちぇる」(長崎)などで使われている。人的な交流があった結果だろうか?

同じように日本語とアイヌ語が似た表現がある説がある。

しかし、これら語彙や文化が類似していることを、現在の政治体制などに影響させようとするべきではないと思う。

 

あづま「東」

東国。東国の方。都より東の方の諸国をいう。

語源は明らかではなく、橘守部の[稜威言別]「朝初」、白鳥庫吉の[神代史の新研究]「朝聞」、また「松岡、古語」にアイヌ語説がみえる。

 

後略

 

天皇の御代栄えむと阿頭麻なる陸奥山に金花咲く(万4097) 

 

 

東の陸奥山で花が「咲く」ように金が取れた。天皇の御代が「さか」えるといいね

という感じだろうか。

「新訂 字訓 [普及版] 白川静 平凡社」 P29

今日はゾッとした。子供のころ友人に「○○ 篤」君がいた。

あつし という項目を見て、驚いた。

 

篤志家になるのかなとか、良い意味しかないと思っていた。

しばらくして、重篤などの語を知り、おや?と思った。

事情や背景は分からないし、良い意味で名づけられているのだろうと思う。

しかし、なかなかすさまじい悪い意味が解説してある。

 

あつし「篤」 病が進んで衰弱の甚だしいことをいう。「あつしる」(下二段)はその動詞形。「しる」は「痴る」かという。「あつゆ」「あつかふ」と同源の語である。

 

中略

 

毒がその本字である。

 

もちろん

角川の新字源では

 

「篤」「あつし」 ①馬の歩みがおそい。②あつい ア 手厚い、人情が厚い イ 誠意がある 信念がかたい ウ もっぱら 雑念がない エ 病気がお思い 3 あつくする ア 手厚くする イ かたくする ④はなはだ。ふかく。

 

とあり、良い意味がある。

なぜ、白川静さんは、悪い意味とその語源が毒であるとの結論に至ったのだろう。

そしてなぜこの字が「あつい」とか「信念がかたい」という意味でつかわれるに至ったのだろうか。興味深い。

あしまかせ「岩波国語辞典 第八版」P23

昔、マラソンを走る上司がいた。

己の力だけで42.195キロ移動するというのがどういうことなのかを知りたくなり、近所の川の河口まで電車で行き、源流近くまで歩いた。55キロほどだっただろうか?

それから川沿いを歩くことに目覚め、コロナの流行で今は控えているが、足任せに歩いていた時期があった。

いつになったら再開できるだろうか。

 

あしまかせ「足任せ」①行く先を決めず、気の向くままに歩くこと。②歩ける限り歩くこと。