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「論語の話」 吉川幸次郎 第22回

第22回 最晩年の孔子孔子伝説

・魯に帰ってきてから、音楽を体系立て、詩を体系立てた。

・彼の生きている現在の人間には失望し、将来の人間のために書き物を残そうとした。(五経

・経というのは、本質、あるいは永遠という意味で、永遠に人間の規範であるという意識。そのまま受け入れるかはともかく人間は生きるためには必ず学問をしなければならない。書物を読まなければならないという姿勢を表すもの。

・ということでこのころの孔子に関する伝説紹介

・斉の国で弑虐事件が起きた。これに対して隣国斉を討伐すべきと魯の殿様である哀公に申し入れるが、「三大臣に言えよ」と突き放され、同じことを三人の大臣に言いに行くが、内閣の一員として言わざるを得ないといった(論語「憲問」)

司馬遷の「孔子世家」には記載がない。

史記にも論語にもないが、「春秋公羊伝」に麒麟が魯にあらわれ、孔子に届けられた時には死んでいて、誰のために来たのだと孔子は泣いた。本来孔子が王たるべきであったという思想の強調によるものとおもわれる。

・朝早くに、泰山が崩れる 梁木が崩れる 哲人が衰える という歌を歌った。子貢がそれを聞いて先生が死ぬと思って家に行くと、座敷の真ん中でごちそうをもらう夢を見た。帝王の食事か、死者への供え物という意味だ。今は帝王は出ない。わかるな?と言われて死を悟ったことを告げ、7日後に亡くなった(礼記 「壇弓」)

これもまた孔子が王であるべきであったという思想の強調によるものだろう。

・同じ人類の教師であっても、十字架にかかって血を流したキリスト や 弟子に囲まれて幸福な涅槃に入った釈迦と違う。現在の人間に失望しながらも未来の人類に期待をして亡くなった。

 

小言

現在の政治を変えることには失望しつつも、残そうとして書物を残した孔子

縦の系譜の中に自分を残そうという思いがだいぶ強い。

この思いが必要だろう。