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今昔物語 巻19 第29 亀、山陰中納言に恩を報ぜる語

亀の恩返し パート2

延喜天皇のころ、藤原高房の子で、山陰という中納言がいた。

子だくさんだったが、その中に一人顔立ちのとても良い男の子がいた。

 

山陰中納言は、この子をたいそうかわいがっていた。

継母がおり、この子をとてもかわいがるので、

中納言は喜ばしく思い、

専らこの継母に預けて育てるようにしていたという。

 

さて、山陰中納言大宰府の長官に任命されて、九州に向かうことになった。

継母を篤く信頼していたのであるが、

実はこの継母「このガキをなんとか殺してやりたい」と強く思っていた。

 

玄界灘の鐘の岬のあたりについたとき、継母は行動に移した。

おしっこをさせるふりをして、海に突き落としたのだ。

しかもこの女、悪である。

すぐに見つかっては命が長らえると思い、しばらく船が進むに任せた。

 

しばらくして継母は突如泣きわめく。

「若様がぁ!若様が海に落ちられましたぁああ」

 

山陰はこれを聞いて、すぐにでも海に飛び込むそうなばかりに泣き、たいそう動揺した。

「死んでいたら、死体でもいいからとにかく坊やを連れ戻せ!何してる!早く行け!!」

とにかく部下を小舟に乗せて、捜索に走らせた。

「生きてるか、死んでしまったか確認しない限り、ここをひと漕ぎも動かさん!」

などと言って、自身が乗っていた船も止めてしまった。

もう、むちゃくちゃである。

 

部下こそいい面の皮である。

徹夜で捜索したが何も見つからない。否、見つかるはずがない。

夜明けになり、水面が青く見えてきた。しばらく見ていると波の上に白い何か小さなものがみえる。

「カモメだろう」念のため近づいてみると逃げない。

「おぃおぃ…」近づいてみると子供が海の上でかがんで、水をぱしゃぱしゃやって遊んでいる。

よかった。と思いながら漕ぎ寄せると、大きなビーチパラソルほどもある亀の甲羅の上に子供がいた。抱き寄せると、亀はすぐに海深くへもぐっていった。

 

本船に戻ると山陰のところまであわてて帰り、

「若様が、おられました」

といって差し出す。

山陰は抱き取ると同時に、喜び泣きした。号泣である。

「くっそー、おかしいな」と思いながらも継母はその様子を外には漏らさず、

山陰の思いの通りにふるまっていたので、相変わらず山陰は疑わなかった。

 

ようやく船を進めることができたのだが、山陰はすっかり興奮して夜眠れなかった。

翌日、眠くてたまらないので昼寝をした。

すると昼寝の夢をみた。

 

船のそばにもの言いたげな亀が首を出している。

なにかもの言いたげだ。

 

船の端に出てみたら、亀ではあるものの、人の言葉を話した。

「覚えていますか。私です。亀です。

 一年前淀川の下流の港で鵜飼いに釣り上げられていたところを助けていただきました。

 私を鵜飼いから買い取って逃がしてくださいましたね。

何とかご恩をお返しせねばと思いつつ、月日が過ぎてしまいました。

大宰府の長官になられるというので、お送りしようとついてまいっておりました。

夕方、鐘が崎で、継母が若様を抱えて船の欄干ごしに若様を海に投げ入れましたので、甲羅に乗せて船に追いつこうとしておりました。

今後も継母を信用してはなりませんよ。用心なされ。」

というと、海に潜っていった。

ここで目が覚めた。

 

その後思い出してみると、

一年前、住吉大社に参った時、淀川の大渡というところに鵜飼いがいて、

船で近づいてきたとき、こっちを見ているかわいい亀がいたので、

かわいそうにおもって、上着と亀を交換して海に逃がしてやったことがあった。

 

「あの時の亀か」

ままははの不自然な泣きわめき方と思い合わせると怒りが込み上げてきた。

 

その後は乳母に預けて自分の船に乗せるようにした。

九州に来ても心配だったので、子供は別のところに預けて、自らときどき様子を見に行くようにした。

自分で面倒見ろよとは思うが、当時の風習である。仕方がない。

 

継母は、

「バレたか」

その様子をみて思ったが何も言わなかった。

 

任期5年が明けて京都に帰ると、その子を寺に預けて僧にすることにした。

名前は、如無とした。

一度は死んだと思った子なので、「無きが如し」で如無である。

この子、山階寺の僧になり、その後宇多天皇に仕え、僧都にまでなった。

 

中納言が死んだとき、継母には子がなかった。

事あるごとに恥ずかしいと思いながらも、僧都に死ぬまで養われた。

 

亀が恩をかえす話のようだが、そうではない。

人の命を救ったり、夢を見せるなど、只者の仕業ではない。

きっと仏菩薩などであったのだろう。

 

この山陰中納言は摂津の国の総持寺という寺を造った人だという。

 

あとでもう少し直したい。