亀の恩返し。
昔、広島の三次市のあたりに三谷というところがあった。
その郡の長官の先祖の話。
660年に百済国が滅亡した。
この長官の先祖、縁あって援軍を引き連れ百済に向かった。
配下を失い、一人取り残された長官の先祖は、日本に帰ろうと思ったが帰ることができなかった。
日本に帰りたくて、泣く泣く願掛けをした。
「日本に帰れたら、そこに大寺院を建てて、菩薩像を造り、奉ります。」
願をかけていると、百済の僧が来た。
この僧、引済(ぐさい)という。この引済と長官の先祖は親友となった。
数年後、長官の先祖が帰国するとき、引済もついてきた。
こうして広島に帰ってきたので、喜んで大きな寺院を建てた。引済とともに寺を運営することとしたが仏像がない。
仏像を造るには、黄金が要る。そこで引済に多額の財産を持たせて、京都に向かわせた。
引済は無事に黄金を買った。
帰り道に大阪のあたりで、漁師が亀四匹を殺そうとしていた。
これを見た引済は、慈悲の心をおこし、亀を買い取って海に逃がした。
大阪から船に乗ると、岡山の骨島のあたりで夕方になり、海賊が出た。
海賊は、引済の船に乗り移ってきて、お供の子供二人を海に投げ込み、
「お前も海に入れ。入らないなら投げ込むぞ」
というので、命ばかりはお助けをと懇願したが、相手にされなかった。
そこで引済は自分から海に入った。
海賊は黄金を含めて船の荷物を皆取ってしまった。
ところが引済、海に入ると石のようなものに足が触れ、水は腰くらいの深さしかない。
このまま海に立っていると、夜が明けた。
朝日の中で、水中をうかがうと、亀である。周りを見渡すとどうも広島の海辺である。
岡山沖で海賊に遭ったのに、広島にいる。たった一晩でこんな距離を移動してしまった。
不思議でならない。
「昨日の亀の恩返しにちがいない。ありがたいことだ。」と陸に上がって気づいた。
そこから三谷の家に帰って、このことを語ると長官の先祖は、
「海賊にあって、財宝を奪われるのはよくあることだ。だが助かったのは亀のおかげだろう」と喜んだ。
そうこうしていると、来訪者があって、黄金を売りに来た。
引済が応対すると、あの海賊6人ではないか。
海賊は気づいて、「もうだめだ」と思って、声もろくに出ず、挙動不審になっていたが、引済が何も言わずに黄金を買い取ったので、「ラッキー」と思って帰って行った。
その後、仏像を造って供養し、この寺は三谷寺と呼ばれていたが、もうない。
引済はその後、海辺で行き来する人に法を説いていたが、80才でついに死んだ。
亀の恩返しという話はよくあることで、インド中国にもよくある話だという。
あとでもう少し書き直したい。