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今昔物語 巻19 第30 亀、百済の引済に恩を報ぜる語

亀の恩返し。

昔、広島の三次市のあたりに三谷というところがあった。

その郡の長官の先祖の話。

660年に百済国が滅亡した。

この長官の先祖、縁あって援軍を引き連れ百済に向かった。

白村江の戦いで、新羅と唐に敗れ、敗走した。

配下を失い、一人取り残された長官の先祖は、日本に帰ろうと思ったが帰ることができなかった。

日本に帰りたくて、泣く泣く願掛けをした。

「日本に帰れたら、そこに大寺院を建てて、菩薩像を造り、奉ります。」

願をかけていると、百済の僧が来た。

この僧、引済(ぐさい)という。この引済と長官の先祖は親友となった。

数年後、長官の先祖が帰国するとき、引済もついてきた。

 

こうして広島に帰ってきたので、喜んで大きな寺院を建てた。引済とともに寺を運営することとしたが仏像がない。

仏像を造るには、黄金が要る。そこで引済に多額の財産を持たせて、京都に向かわせた。

引済は無事に黄金を買った。

帰り道に大阪のあたりで、漁師が亀四匹を殺そうとしていた。

これを見た引済は、慈悲の心をおこし、亀を買い取って海に逃がした。

 

大阪から船に乗ると、岡山の骨島のあたりで夕方になり、海賊が出た。

海賊は、引済の船に乗り移ってきて、お供の子供二人を海に投げ込み、

「お前も海に入れ。入らないなら投げ込むぞ」

というので、命ばかりはお助けをと懇願したが、相手にされなかった。

そこで引済は自分から海に入った。

海賊は黄金を含めて船の荷物を皆取ってしまった。

 

ところが引済、海に入ると石のようなものに足が触れ、水は腰くらいの深さしかない。

このまま海に立っていると、夜が明けた。

朝日の中で、水中をうかがうと、亀である。周りを見渡すとどうも広島の海辺である。

岡山沖で海賊に遭ったのに、広島にいる。たった一晩でこんな距離を移動してしまった。

不思議でならない。

「昨日の亀の恩返しにちがいない。ありがたいことだ。」と陸に上がって気づいた。

 

そこから三谷の家に帰って、このことを語ると長官の先祖は、

「海賊にあって、財宝を奪われるのはよくあることだ。だが助かったのは亀のおかげだろう」と喜んだ。

そうこうしていると、来訪者があって、黄金を売りに来た。

引済が応対すると、あの海賊6人ではないか。

海賊は気づいて、「もうだめだ」と思って、声もろくに出ず、挙動不審になっていたが、引済が何も言わずに黄金を買い取ったので、「ラッキー」と思って帰って行った。

 

その後、仏像を造って供養し、この寺は三谷寺と呼ばれていたが、もうない。

引済はその後、海辺で行き来する人に法を説いていたが、80才でついに死んだ。

亀の恩返しという話はよくあることで、インド中国にもよくある話だという。

 

あとでもう少し書き直したい。