「では性は教えよりも貴いのですか」
「いいえ、違います。
人には皆性があり、その性は善いものです。
学をもってこの善性を満たせば、人は君子になります。
しかし、善性を学で満たすことができなければ、つまらない人で終わります。
このように性が善いだけでは、どうにもならないのです。
だから孟子には「これを満たさなくては持って親孝行はできない」といい、
論語にも「性は似たようなものだ。習いで差がつく」というのです。
君子と小人の差は、性ではなく教によるのです。
だから、孔子は性を責めず、習を責めるのです。その意味を分かろうとしましょう。
また、論語には
「人が道を弘める、道が人を弘めるのではない」と言います
孔子は過去にないほどの至聖をもって、過去と現在を見、朗らかに天を見てはじめて人々のために教えを造った。学のみなのです。
「学んで時に之を習う、亦よろこばしからずや」といい、「終日眠らず、ご飯も食べずに考えた、意味なかった。学ぶことの方が素晴らしい」と。
学問に勝る有益な行為はなく、空中戦で、あーでもない、こーでもないと考えても、何も得ることがないのです。がんばりなさい。」