論語とコンピュータ(読み書きそろばん)

ちょっとずつ読んで、書いてみる

童子問 上巻 第40章

「仁を識り難いのはなんででしょうか」

「仁を得ることは本当に難しいです。仁の理を識るということにおいては難しいことなどありません。

道を学ぶ者がその方を失っているので、勝手に難しくしているのです。

昔の人の学は、徳行を根本としていました。ちょっと後の人の学は理を極めることを主にしています。これこそが仁がわかりにくくなった理由です。

仁は愛を主としていますが、徳は人を愛するよりも大きいということはありません。

理を極めることを主体とすれば、理だけを求め、心は高遠なことをもてあそんで、力を尽くして、愛を仁のためのものにしてしまい、軟弱で浅いもの、日常のものに引き寄せてしまい、これを軽蔑する気持ちになって、向上する道がここにないと考えてしまうでしまうでしょう。口ばっかり上手になって、道を求めることとは程遠く、孔子の高弟、仲由、再有、公西華や、当時の賢い人たち、尹子文、陳文子の流れと雖も、みな仁を以て許しを得たのではないので、これを求めていない。ほかの意見を海、人を天理の公とし、理に当たって私心無しとするように議論が沸き上がり、仁からどんどん離れてしまう。だから私は言うのです、「仏教や道教がわが儒教と違うのは、義にあります。儒教の聖人との差は仁のあるなしです」と。

これが仁が識りがたいゆえんです。