童子問 上巻 第27章
「禅荘宋儒の道を談ずるとき、遠い者大なる者を極みとする。今、先生は道は近くにあって遠くにあるものではないとおっしゃいます。どういうことですか?」
「人に語ってわかりにくいようなものは良い教えではない。
人を導くときに従いにくいようなものは、良い道ではない。
聖人の道と言うのは、君臣父子夫婦兄弟友のあいだにあって、徳は仁義忠信の外にはない。昔っからこれは変わるものではない。世界中どこに行っても変わらない。人の心に根差して、人々の生活に浸透している。天子様といえどもこれを廃止したりするようなことは許されない。聖人と言えども変更することはできない。中庸に出てくる愚かな夫婦だって道を知っていて行なうことができる。皆知っていて、皆実行できることなのだ。だからこそ、これらを天下の達道、達徳と言うのです。
一方で、禅荘の理や宋儒の宇宙の理が人間の生まれつきを造るというような者は、難しくてわかりにくく、道は高く巧妙に作られていて、実行が難しい。人間性を失って、生活に浸透できない。これを一般の人に毎日やれと言われても誰もできない。
こんなものを天下の達道、達徳と言えますか?
高く遠いことに驚くばかりで人々には役に立たなく、日用できず、天下国家の治に役に立たないのが孟子の言うところの邪説暴行と言うものです。良し悪しを知るといいです。」