童子問 上巻 第42章
「孔子や孟子がいうところの仁とは、結局どういうことなのですか?」
「仁とは人道の大本です。多くの人々が善い行いをする要です。人道に仁義があるというのは、陰と陽があるような当然のことです。だから孟子は『仁は人の家のようなものです、義は人の正しい道です』というのです。仁と義は分離することはなく、仁がその要となります。だから孔子門下の者は皆、仁を日常茶飯の事として、あえて其の意味を疑うことはありません。だから論語は皆、どう仁をおさめるかということを言っていて、仁の意味を説くことがありません。諸子が聞いたり、答えたりすることは皆そういうベースに成り立っています。その意味を明らかにしたければ孟子から入るといいでしょう。孟子はこういいます。『惻隠の心は仁の始まりです。人にこの起点(※)があることはまるで、身体があるようなもので広げてこれの密度を高めていくことを知れば、火が燃えるように、泉が湧くようになるだろう。十分に密度を高めれば、四海を覆うようになるだろう』『ひとは皆我慢できかねるところがある。これを忍所に達するのが仁である』キミはこの二つをよく読めば、仁がどういうことかわかるだろう。
孔孟が仁というのは明白で疑義の余地がない。だから私は『孟子の書かれたものは論語の解説である』というのです。孟子は言います『端とは本であり、はじめです』四端の心、はもともと備わっているのです。密度を高めていくというのは、これを達するということです、惻隠の情を達するというのこそが、仁であり、四海を追おうというのは、四端の心を達することで、仁義礼智を成すことを言うのです。仁義礼智の徳がなければ、四海を覆うことなどできません。」
※ 原文では四端となっている。惻隠だけではなく孟子の言う仁義礼智の端、惻隠、羞悪、辞譲、是非 のことか?