論語とコンピュータ(読み書きそろばん)

ちょっとずつ読んで、書いてみる

童子問 第6章

「先生、論語は簡単で分かりやすくて、六経は奥深くて読みにくいです。なのになんで六経の上に論語の教えが君臨する。と説明しているのですか?」

「程氏がこう言っているだろう「論語の教えがわかった時には、六経のことは学ばなくてもわかってくる」と。六経の道は、平らかでまっすぐで通りやすく、普遍の道である。しかし、論語孟子をよく理解してから、六経を学ぶことに利益がある。そうでなければ六経は内実のない空虚なものとなって現代に役立てることができない。この三大の彝器を机の上において、日用品として使わないようなものだ。後世の儒者が、易経や春秋を解説しているが、その説が、奇妙奇天烈なもので、日用から遠いのはこのせいだ。詩書もそうだ。程子の易経の解釈だけが他の儒者と一線を画し、良いものであるのは、論語孟子の理からちゃんと読み解いているからだ。論語は他の六経より一段高いものなのである。」

 

小言

 

きょうのことば

彝器 (いき) 殷周時代の祭祀用の青銅器。釣鐘、鼎など。