「じゃあなんですか?仁義は中より重要であるってことですか?」
「そうです。学問は仁義より尊いものはなく、仁義のために礼より重要なものはありません。だから論語では礼のことは言いますが、中のことは言わないのです。
顔淵が孔子に仁とはなにかを聞きます。孔子は言います『自分に克ち礼に立ち返ることが仁です』また、『君子は博く文を学んで、これを礼にのっとって実行すれば、間違いない』ともいいます、また『いくら恭しくても礼がなければ疲れてしまいます。慎んでも礼がなければおそれているだけになってしまう。勇があっても礼がなければ乱れる。真直ぐでも礼がなければ堅苦しいだけになる』
これらは孔子の学問をする人にとって大事な言葉です。萬世学問の基準であり、結局重要な一つに帰結する二つとない大事なことなのです。唐のころ教えがまだ細かく決まっておらず、やっていることが仁義でないということではなくて、仁義の細かい分類がなかった。だから『中であれ』と言っていたのです。その後、孔子、孟子の出現で仁義を教えとして礼を要とした。中は秤のようなもので、礼は秤で物をはかるようなものです。中はまだごちゃごちゃしていますが、礼は則に従っています。礼は仁義から生まれていますが、仁義をあるようにする働きがあります。だから常に礼を教え、中のことはあまり言いません。」