論語とコンピュータ(読み書きそろばん)

ちょっとずつ読んで、書いてみる

童子問 上巻 第三十七章

「忠信を主とする時には敬は必要ないんですか?」

「そんなことはない。「言忠信、行い篤敬」と言うではないですか。

また、「居処恭しく、事を執るに敬し、人と忠あり」とも言います。

敬もまた聖学において、修養すべきものです。つぶさに、きちんと積み上げられた教訓があります。廃することはありません。聖人が人を教えるに、その工夫は一端ではないのです。積み上げていって、初めてその徳を成すことができます。これはお医者さんが病気を治すようなものです。薬に君臣佐使があります。処方に七方十剤があります。それらの薬が全部そろって初めて病を治すことができます。だから、「知仁勇」とか「忠信篤敬」とか「恭寛信敏恵」とか「忠信を主として義にうつる」とか言うのです。ことごとに教えがあり、人に対して方を示しています。ただ一つを守るだけで徳が成せましょうか。それでもなお忠信というのは薬で言うところの甘草のようなものです。欠くことができないのです。いろいろな工夫があるとはいえ、これが主でなくてはなりまえん。宋儒が持敬というのは昔の人が敬を大事にしたというのとは、もう、違ってしまって、忠信を以て主とすることなく、ただ、敬だけで学問をまとめてしまおうという態度です。一つの薬でなんでも直そうというようなもので、これでは道を誤ります。」