童子問 上巻 第26章
「顔回は、「これは仰げば高く、切ろうとすれば硬い。見るとしても前にあるかと思えば後ろにある」と嘆いています。こういうものはとても難しく、高尚なものであって、卑近とは言わないのではないでしょうか?」
「それは朱熹などのひとの解釈の誤りです。論語の本旨ではありません。顔回がなげいたのは、高いところにあったり、硬かったり、前だの後だのということではないのです。教育を受けることで、前の日に間違っていたことを悟り、喜んでこれを嘆いているのです。たしかに顔回はとても賢い方です。道を見ることは高いし、変幻し続け、形を捉えることができない道のありようを見て、実のところを見ていません。
だからこそ「仰げば高いし、硬い。前にあるかと思えばうしろにある」と言うわけです。
その通りのことをしているのではなく、道は掴まえ所がないぞ。という点に着目すべきです。文をもって博め、礼をもって説明する論語の教えを聞くに及んで、はじめて人を誘めることをしり、学ぶことで平実につき、やめようと思ってもやめられないところにいたることができます。だから喜んで嘆いているのです。
だからはじめに、高堅前後の言葉で、次に循循として人を導くといい、最後に従おうと思うけれども難しいというわけです。
その順番は自分で見たら余韻尾です。ましてや、文をもってひろめ、礼をもって説明するというのは上達するために下学するというようなことです。これが卑近でなくて何でしょうか?
だから実徳を知ってその後卑近の大事さを知るのです。卑近の大事さを知ってその後自然と論語の妙がわかります。
うーん。難しいですね。難しいですね。
」