あたかも「宛 恰」
まさしく似ている状態をいう。「あた」は「當る」の語根の「あた」「か」は副詞形をとるときの語尾、「も」は助詞である。
宛は廟中に人が坐して神霊を拝している形。
神霊の憑るのを待つ形というが、霊に憑依されることがあたかもにつながる理屈がどうにもわからない。まさに霊に似た状態になるということだろうか。
やまとことばと漢語の間には埋めようのない溝があるが、古人はそれをなんとか埋めてきて今の日本語があるということだろう。
吾が背子が捧げて持てる厚朴安多可毛似るか青き蓋
あなたが持ってるホホガシワまるで偉い人の蓋(きぬがさ)みたいだわ。という歌。
こんな雨の日には良い。