方針などについて意見を聞いておきながら、ネガティブな発言を許さない。今の日本の組織にはそんな風潮が多く見受けられる。
方針策定に全人格をかけてしまっており、それ以外の人生が存在しないので、方針への否定的なコメントを自己の存在自体への否定と捉えてしまうのだろう。
こういう組織は、「さん付け運動」とでもいうのだろうか、「○○部長という言い方を変えて、○○さんにしよう」など一見口当たりの良いようなことを言いがちである。職位が仕事をしているのではなく、全人格がフルコミットして仕事をしてしまうのだ。実際自分がそうだった。許さない側が多少かわいそうに思われる。
ネガティブについてだが、辛いこととか暗いところ(ネガティブな面)が「ある」ということは認めてしまうことが大事だと思う。
認めたうえで、それを、今、ここで意図的に「出す」か「出さないか」、そして意図せず「出てしまっていたら」ひっこめるか、押し出すか、その決定権を他人に任せないで保持し続けることが大事だと思う。
これを自ら放棄したり、放棄することを強要されて、ポジティブで糊塗していると、ある日内圧が限界に達して人間が壊れると思う。
来るものは選べないが、せめて反応は(選べる範囲で構わないから)選ぼう。
「ポジティブ」 肯定的。積極的。また、実証的