2025-04-01から1ヶ月間の記事一覧
「朱熹が子文、文子が仁でないというのは私心があったからいけない。そういうことでしょうか?」 「いや、違うね。仮に二人のやったことに私心がなかったとしても、彼らの行動は忠であり、清である。仁ではないんだ。 管仲のように全く私心がないとしても、…
「40章に出てきた令尹子文、陳文子はどうして仁をゆるされなかったのでしょうか?」 「二人にもし、管仲の志と才があったならば、またまさに仁を言うでしょう。子文は大臣になってもやめても特に何も感情を示さなかったのは身のためであるし、丁寧に引継ぎ…
「管仲はなんで王を助ける才がないとされたのでしょうか?」 「志があって才があって学があって、そのうえで王道というのはすることなのです。 志がないならば、孟子が伊尹について、天下のことを自分のことのように責任を感じる といったようでなくてはなり…
「孔子はなんで子路、冉有、公西華に仁であるとしなかったのでしょうか?」 「愛の心が一時も離れることなく、少しも残忍刻薄な心がないことが仁である。子路、冉有、公西華の三人は孔子の高弟ではありますが、心のありようをずっと変えないということを保つ…
「管仲は覇者の臣下でした。だから孟子は管仲がその王道を知らないということを謗りました。しかし、孔子は管仲は仁であると言いました。これはどうしてですか?」 「仁による徳、利澤恩恵は、遠く天下後世にいたってどんどん大きくなっていきます。書経で堯…